テレビ放送は今後どうなる?

若者がテレビを見なくなったと最近よく言われる。最初のグラフを見ると、全世代でのテレビ視聴時間はあまり変化していないがやや下降傾向にも見える。一方で、2番めのグラフを見ると、平均テレビ視聴時間は、10代と60代では2.5倍もの差があることがわかる。テレビは老人メディアになりつつある。しかしシニア層は購買意欲はあまり旺盛でないため、より広告効果が期待できる若者向け番組も欠かせない。
近年の民放テレビは、有名人をスタジオに集めてトークをするだけという番組形態が非常に多く、私のようにもうウンザリで見る気がしないという人も多いだろう。私が仕事で頻繁に行った米国、あるいは最近短期語学滞在した豪州やNZではそのような形態の番組はほとんどない。ただNZでは自ら制作した番組は少なく、豪州制作の番組や海外ドラマが多い。制作費をあまりかけていないし広告収入もあまり期待していないように見える。年配のホストさんで毎晩テレビを見ていた人もいるが、最近滞在したお宅のホストさんは夜はPCを見ていた。
定額で動画が見放題の動画配信サービス草分けのNetflixは米国での加入者数がCATVと同等にまで伸びた。しかし同業他社や、YouTube、Amazonなど別形態の競争相手も多い。最近固定料金動画配信のhuluで大規模な接続障害が発生し、かなりの顧客が離脱した模様である。年配の世代にはTV受像機=TV放送という固定観念があるが、画質を問わなければTV受像機でネット動画もPC画面も見れる。日本ではTV放送しか見ない世代はしばらくマジョリティを保つであろうが、その後はTV放送局も今のような形態は保てないであろう。良質の番組のクリエーターであるジャーナリストやプロデューサーが何処を基盤として活動してくか、ということも問題になってくる。また日本ではTV受像機保有世帯はNHK受信料支払い義務があるが、NHKをスクランブルをかけたペイテレビにすることは経済学者などから提案されている。利権と保守的な視聴者層に支えられているマスメディアが今後瓦解の道を歩むのか?すぐには変化しないであろうが、今後様々な変化が現実となるであろう。

【焦点】日本型雇用は今後どうなる?(その1)

日本型雇用慣行は崩壊しつつあるということは10年以上前からずっと言われ続けている。しかしその根幹は根深く、「新卒一括採用」や「終身雇用」は公務員や大企業を中心に根強く残っている。

一方でグローバル化への対応や成長の停滞で、「非正規労働力」の割合がどんどん増加している(図の出典は総務省統計局)。

世界的に見て、日本型雇用慣行は非常に特殊なシステムなのだが、多くの日本人は海外の雇用システムを知らないので、日本型雇用慣行が当たり前で、海外でも同様のシステムになっていると思っている。

ここで念のためグローバル(標準的)な雇用システムを簡単におさらいする。各組織の各役職やポジションには”Job Description”があり、職務内容や報酬が記載されている。労働者は新卒であるか既卒であるか、組織内か組織外かに関係なく、自分がそのJob Descriptionの応募条件を満たし、その仕事をしたいという意欲があれば応募する。応募した候補者から面接等により採用者を決定する。応募には履歴書や職務経歴書の他に、元上司などによる推薦状(Cover Letter)が必要な場合が多い。ほとんど全ての職が期限付きで、給料はスキルに応じて決まる。それが客観的に考えて自然である。私は米国のビジネス会議で電気エンジニアと機械エンジニアのLabor Costが若干違うのを見て改めて日本との違いを実感した。

日本では高度成長期には企業労働者のほとんどが正社員であった。アルバイトは学生が生活費の補助のためにするものだった。伝統的日本型雇用システムではJob Descriptionはなく個々人の職務の定義はあいまいで、それが長時間労働や辞令一枚でどこでも転勤といったことにつながる。賃金は学歴(高卒か大卒か)と年功のみによって決まるので、どんな職種・スキルでも同じ会社の(大卒)同期は管理職になる前は原則同じ賃金である。私は研究所に就職した時に研究職と事務職で賃金が同じであることを知って不思議に思った。それは30年以上前のことだが、比較的最近にその事を英会話スクールの米国人講師に話したら「えっ、嘘でしょ。じゃあ何のためにスキルを高める努力をするの?」と全く理解してもらえなかった。これは私が新卒時に抱いた疑問と同じである。正社員の時はこの「日本的悪平等」も慣れてしまって違和感を感じなくなったが、早期退職後非正規で仕事をして、この悪平等が日本のデフォルトであることを嫌というほど実感した。見た目にも素人のパート主婦と自分の時給の違いは100円程度だった。もう勤めの仕事は二度とやらないと決意した。そして「雇用」が存在しないフリーランスの世界でもこの空気があることがわかってきた。こうなるとグローバルに仕事を探すしかない(英語スキル前提)。

周知の通り、日本型雇用システムでは若い時期は成果>報酬で、ベテランになると成果<報酬になる。この逆転時期より高齢になると転職市場はほとんど存在しない。そして累積の成果=報酬になる位で「定年」という形で強制退出させられる。制度的にはほとんどの企業組織は60歳定年であるが、その前に役職定年や関連会社への転籍など様々な形で退出させられる。

高度成長期はこれでやっていけたが、バブルが崩壊し日本が低成長時代に入ると、人件費抑制の圧力が強まり、いわゆる「非正規雇用」の労働力が次第に増えてきた。まず特定の職種で「派遣社員」の活用が始まり、その後「任期つき事務員」などのプロパーの非正規のポジションも増えていった。非正規雇用の場合は多くの場合賃金は最低時給に近いレベルに抑えられ、福利厚生も法定外のものは考慮する必要がない。かくして同じ職場でほとんど同等の職務をこなしているのに、非正規社員は正規社員の半分から数分の一の報酬しかもらえない、という目に見えた職場内格差が日常的に見られるようになった。

政府は最近失業率が低い水準で推移していることを喜んでいるが、これは非正規労働者が増えたからである。一般に非正規の給料では家族を養うことはできない。それゆえ多くの非正規労働者は生活にゆとりがなく、結婚も思うようにできない。大手広告代理店正社員の過労死自殺が話題になったが、それを報じているテレビ局のアナウンサーは正社員であり、それを見ている多数層であるシニア世代もほとんど元正社員(とその配偶者)である。自分は非正規を経験したのでその空気に違和感を感じるようになった。日本型雇用システムを変える以外に根本的な解決策はないというのが正論だが、正社員で固められたマスメディアには正論は出てこない。この空気が希薄になるにはまだ10年近くかかりそうである。

これから日本型雇用システムはどうなるのであろうか?官公庁や大企業では新卒で優秀な人材を確保するために、終身雇用を維持する前提で当面採用を続けるとみられる。そもそも行政を支えている中央官庁が日本型雇用から転換しない限り、この正規と非正規の混在した状態は続くであろう。

日本型雇用システムはある種の「均衡状態」(最も高いかどうかわからない山の頂)であり、標準的雇用システムというグローバル均衡状態へは山を昇り降りしなければ到達できない。そして前者の均衡状態はそれを形成している土台が崩落しつつある。その崩落からどのような経路を辿って標準的な均衡へ到達するのか、それをよく考える必要がある。

【焦点】ポジティブ思考の重要性(その1)

我々の日常の思考や感情は「ポジティブ」「ネガティブ」「中立」に分けられると考えられる。「ポジティブ」には、希望、成長する意欲、楽しい、面白い、幸福感、満足感、などがある。「ネガティブ」には、怒り、不安、恐れ、憂慮、批判、嫌悪、罪悪感、などがある。

ほとんどの人は、「思考をしている」のが本当の自分だと思っている。しかし心理学者やセラピストは、自分の普段の生活で沸き上がってくる思考(自動思考)を客観的に観察することを勧める。認知行動療法などがそうである。この自動思考を客観的に観察すると、擦り切れたレコードのように、同じことが何度も何度も頭に浮かび上がってくることがわかる。

スピリチュアル・リーダーとして有名なエックハルト・トールは、「自分の思考を観察しているのが本当の自分である。過去や未来は存在しない。それは思考の産物にすぎない。我々が時間といっているのは心理的時間である。現実にあるのはいまだけである」と説いている。

実際に自分の自動思考を観察していると、そのほとんどがどちらかといえばネガティブである。他人と比較して自分の「エゴ」を増強したり、他人の欠陥をあげつらったりしていることが非常に多い。自分と他人を比較して優越感にひたるのは一見ポジティブのようにきこえるが、これは他人の批判(見下し)で完全なネガティブ思考である。英語でいうSelf Esteemは、自分と他人を比較するのではなく、自分の価値や潜在能力を肯定的にとらえることである。「自尊心」という和訳はあまりそぐわない。また、「自分はAが欲しい」(この場合のAはモノやお金よりもむしろ「理想の体型」や「心の平安」などが当てはまる)という思考は、「自分には今Aが欠けている」というネガティブ思考である。

ネガティブ思考をできるだけ避けるべきである最大の理由は、それ自身が身体に悪い影響を及ぼすからである。昔から「長生きの人にはよく笑い、楽観的な人が多い」などと言われるが、ネガティブ思考は身体の免疫力を弱める。またストレス反応として蓄積すると精神疾患などにつながる。車の運転中などによけいな思考をしていると注意が散漫になり、事故リスクが高まる。ネガティブ思考は百害あって一利なしなのである。しかしネガティブ思考が浮かび上がるのは、長年にわたって親や先生から言われてきたことや自身の挫折体験から、脳に「プログラミング」されたものともいえるので、意識的に思考の沸き上がりを抑えることはむずかしい。米国では心理学をベースとして、潜在意識に働きかける「アファーメーション」が広く行われており、オーディオCDなども多数発売されている。

一見して不運なこと、つらいこと、などでも、「災い転じて福となす」というように結果としては自分にとってプラスだった、ということは多い。英語ではblessings in disguise(変装している祝福)という。だから苦難に直面した場合、「これこれを見れば自分にとってプラスとなる」とポジティブに解釈することが大事である。

他人に変化を求めるのはほとんど不可能なので、他人の批判をしてもネガティブ思考で自分の健康を損ねるだけである。他人のことはさておき、自分が前を向いて進んでいくしかない。

新電力乗換による電気代の節減

電力の小売全面自由化が始まって1年余りが経過した。私はこの関連業界で働いていたので電力の規制緩和は仕組みや海外事例などまでよく知っていた。そのため昨年4月に迷うことなく大手新電力に変更した。

下の表は我が家の電気代の変化である。各月についてデータ数は1~2だが、我が家ではリフォームしてから家電機器の大きな変更はなく、同じ月の電気代の変動要因はほとんど気温と見られ、それほど大きいものではない。巷では格安スマホに変える人を多く見かけるが、ショートメールしか使えないなど一部で不便になる。新電力への乗換はサービス内容に何も変化がない中で電気代は月2,800円弱、年間で3万3千円ほど下がった。

日本の一般家庭でこの一年で新電力へ切り替えたのは4.1%しかない。これは一つには「停電が増えるなど供給品質が下がるのではないか」という不安があると思われる。しかし電力の品質は送配電で決まり、この部門は引き続き電力会社が独占的に運営している。受給逼迫は需要側が気にすることではないが、供給側は需要に見合った供給力を常に用意しなければならない。中小の新電力では電力取引でビジネスをしているため、需要超過になると卸売市場から高い電力を調達する必要が生じる場合もあるだろう。しかし大手の新電力は自前の発電設備を十分持っているので、卸売市場に頼る必要はほとんどないと見られる。

業界サイドから見ると原子力発電の問題などいろいろと込み入った事情があるが、一需要家としては新電力への乗換はお得以外の何ものでもない。

継続のカギは「ルーチン化」と「合わせ技」

世の中一般では、あることを成し遂げるために「とにかく努力することが大切」とよく言われる。

その成し遂げるべきことが非常に切迫したことや、生活がかかっていることならば、意識を「ギアチェンジ」して取り組むだろう。しかし、多くの人々にとっては状況はそれほど切迫したものではないため、努力や意志の力だけではどうしても長続きしない。それだけではモチベーションにならない。健康にいいからとフィットネス器具を自宅用に購入したが、結局三日坊主で終わって物置行きというケースはよくある。フィットネスの効果をみるために毎日体重計にのって測定を記録したとしても、それだけではモチベーションにならない。

エクササイズ、語学学習などを、無理なく長く続けるためのカギは「ルーチン化」と「合わせ技」である。

運動の「ルーチン化」の最もいい事例は「ラジオ体操」である。とにかく毎朝6時半に体操することをルーチン化できる。日本ではラジオ体操人口は夏休みには2千万人とも言われており、毎朝のラジオ体操を継続することによって健康を保っている人が百万人単位でいると思われる。月曜~土曜には8時40分他にラジオ第2放送でも放送がある。ラジオ体操をラジオ放送でなく市販のCDでやろうとしても結局続かない。私は最近毎朝かかさず体操している。家をリフォームしてからはリビングの前にあるサンテラスで体操する。屋外なのでとても気持ちがいい。6時半がきつい時は8時40分の放送に合わせる。日曜日6時半がだめならiPodをぶら下げてCDのラジオ体操を行う(6時半以外の場合や雨天の場合は室内)。

その他、エアロバイクと英語の音読トレーニングは「合わせ技」でモチベーションを維持している。自宅でエアロバイクで運動した後、体を温めながら音読トレーニングをする。この後半は他の勉強の場合もある。運動してスッキリした後に勉強するとより身につきやすい気がする。ただし眠くなることも多いので音読トレーニングのような能動的なものがよりよいと思う。「合わせ技」は「ながら活動」のケースも多い。通勤電車の中で英語の教材をiPodで聞くなどである。語学教材を聞くことは電車の中や家事の最中など、様々な「ながら活動」として行える。

努力や意志の力では長続きしないのが普通なので、それで「自分には無理だ」と諦める必要はない。「ルーチン化」と「合わせ技」でいかに継続するかが大事である。

ゴールデンウィーク特集:データ解析入門 (4)

1.クロス集計表
前回は連続な2つの変量の間の関連について話したが、カテゴリカル(離散的)な2つの変量の間の関連を示すのがクロス集計表である。
以下の例は、その中でも最も基本的な2×2クロス集計表である。
(夫婦別姓に関するアンケートの集計結果)
性別  同姓がよい   別姓でよい  合計
男性     331     217   548
女性     315     352   667
合計     646     569   1215
この場合の「変量」は、「性別」と「夫婦別姓に関する意見」であり、どちらも二値のカテゴリカル変数である。
これら2つの変量間に関連性があるかどうかを見たいとする。そのためには、関連性がない、つまり二変量は互いに独立であるとすればどうなるかを見る必要がある。
性別と夫婦別姓に関する意見に関連性がないとは、「同姓がよい」と答えた人と「別姓でよい」と答えた人の比率が男性も女性も同じ、結局男女合わせた合計の比率と同じということになる。
この場合に上の表の合計以外の数値欄にはいる数字を「期待度数」といい、以下の式で計算する。
(「男性×同姓がよい」の期待度数)=(「男性」の合計)×(「同姓がよい」の合計)÷(総合計)
他の3つの欄についても同様に計算する。期待度数は以下のようになる。
性別  同姓がよい   別姓でよい  合計
男性    291.4      256.6   548
女性    354.6      312.4   667
合計     646     569   1215
期待度数は整数になるとは限らないので小数点一桁まで表示してある。この期待度数と実現度数がかなり食い違っていれば、二変量間に関連性があるといえるだろう。
2.独立性の検定
ここで独立性を判断するために、統計的検定という方法を用いる。この場合、二変量が独立であると仮定すると(これを帰無仮説という)、(実現度数-期待度数)^2/(期待度数)の和は近似的に自由度1のカイ二乗分布に従うことが知られている(^2は2乗すること)。そこでこの統計量を計算し、その値が自由度1のカイ二乗分布としては非常に起こりにくい値であった場合、独立であると仮定したことが適切ではなかった、つまり二変量間に関連性があると判断する(これを帰無仮説が棄却されたという)。この例の場合、統計量の値は20.97となる。自由度1のカイ二乗分布でこれ以上の値をとる確率(p値という)は4.66E-06である。これは一応有意性の目安とされている0.05よりもはるかに小さい。そこで「性別」と「夫婦別姓に関する意見」は関連性があると判断する。期待度数と実現度数の比較でわかるように、男性は「同姓がよい」が多く、女性は「別姓でよい」が多い。

遠くの山より近場のウォーキング

5月3日に、かねてより計画していた近隣のウォーキングに出かけた。図書館にあったウォーキングのガイドブックから選定していたもので、5月の3~5日の中で一番天気のいい日に実施しようと計画していた。本来は歴史スポットを巡る歴史ウォークなのだが、とにかく景色のいい所と休憩できるところをポイントにして歩くことにした。
コースはJR鎌倉駅からバスで少し行った所を起点に、眺めのいい公園2つと海岸線、郷土資料館を回って京急新逗子駅まで。この日は5月としては珍しく富士山が見え、いくつかのポイントでこのような絶景を見ることができた。
富士山はさまざまな所からきれいに見えるが、海と江ノ島と富士山がきれいに揃った景色が見えるのはこの近辺だけであろう。
実際にはガイドブックの情報だけで書かれているコースを道に迷わず歩くのは困難である。しかし現在はスマートフォンのナビゲーションアプリが充実していて、その都度主要なスポットを目的地に経路検索することによりほとんど道に迷わず歩くことができた。費用は交通費・食事代などで2,372円。平均旅行費用サイトによれば日帰り旅行の平均費用は18,000円とのこと。その13%の費用で済んだ。天候に恵まれたことはあったが、近場でも絶景を堪能できた。このようないわゆるコスパのいい日帰り旅行をこれからもトライしてみたい。

ゴールデンウィーク特集:データ解析入門 (3)

1.二つの変量間の相関
データ解析においては、二つの変量の間にどのような関連があるかを調べることはよくある。
この図は、1998年における日本の都道府県別の県民所得指数と預貯金指数の関連を示した散布図である。データの個体は都道府県である。
県民所得が多いほど預貯金が多いであろうことは容易に想像される。その関連性を示す指標が「相関係数」である。この場合相関係数は0.68であり、やや高めの正の相関があることを示している。
相関係数は、あくまでも直線的な関連の強さを示すものであることに注意する必要がある。また「相関」と「因果関係」の違いにも注意が必要である(詳しくは別ブログを参照されたい)。
2.回帰分析
このような二変数の間の直線的な相関関係を直線(一次式)で近似すると以下のようになる。この直線を回帰線といい、このような分析を回帰分析という。
ここでの場合は最も基本的な単回帰式と呼ばれるもので、回帰分析には様々なモデルがある。
回帰分析は通常、X軸の値からY軸の値を予測する場合に用いられる(例えば別ブログ「賃貸マンションの家賃の予測式」を参照されたい)。
このデータに回帰線をあてはめる場合に注意すべきなのは、右端の一つ離れた点(この場合は東京都)である。回帰線は各データから線に下ろした垂線の長さの自乗和が最小になるように引かれるので、このような離れた点になるべく近づくように線が引かれる。この場合はそれほどでもないが、場合によっては他のデータとはかなり外れた所に線が引かれてしまうこともある。

ゴールデンウィーク特集:データ解析入門 (2)

1.正規分布とは
正規分布とは、データがその分布の範囲の中間点に最も多く集まり、中間点から離れるにつれて値の密度が小さくなる確率分布で、図で表すと釣り鐘型の分布曲線となる。
確率分布には様々なものがあるが、この正規分布が一番重要である。その理由は「中心極限定理」と呼ばれる性質にある。中心極限定理とは、データの数が多くなると、そのデータを集約した値(算術平均)は正規分布に近づいていく、というものである。
2.人文・社会科学データと正規分布
統計の応用分野として、人文・社会科学系のデータには、正規分布にしたがっていると仮定して分析を進めていくものが多い。学校の成績やテストの点数も、正規分布にしたがうとの前提から、(分布の位置をあらわす)平均50、(分布のばらつきをあらわす)標準偏差10となるように標準化した「偏差値」が用いられる。正規分布の場合、平均プラスマイナス2×標準偏差より外側の点数をとる割合は片側2.5%、両側5%である。つまり偏差値30以下の生徒の割合は2.5%、偏差値70以上の生徒の割合も2.5%ということになる。尚、実際の単一のテストの分布は人間の分布なので、正規分布の頭が潰れたような分布型になるようである。
その他には、世論調査などのアンケート調査では、「そう思う」「ややそう思う」「わからない」「あまりそう思わない」「全くそう思わない」といった5段階評価で回答してもらうことが多い。尚、選択肢の中に「どちらともいえない」を入れててしまうと、結局無難な回答として「どちらともいえない」にマルをつける回答者が多くなるため、現在では「どちらともいえない」という選択肢は設けず、かわりに「わからない」という選択肢を一番後に配置する形が多い。この場合データは順序のある5つのレベルのデータ(順序尺度)であるが、「わからない」を「どちらともいえない」と同義とみなして、便宜的に-2,-1,0,1,2という値を割り当てて、正規分布であるとして分析をすすめることが多い。
3.正規分布かどうか疑われる場合は分布の形を見ることが必要
データを要約するための代表値として、算術平均が使われることが多い。しかしこの算術平均は、データが正規分布(あるいはポアソン分布)にしたがっているときは分布の位置をあらわす最も良い統計量であるが、データが正規分布ではない場合は必ずしも良い統計量であるとは言えない。
(例)10名の生徒のテストの点数
生徒  A   B   C   D   E    F    G   H  I    J    平均値 中央値
国語  50  54  53  28  58  66  47  46  40  39   48.1    48.5
美術    3  56  38  32  56  45  44  47  51  47   41.9    46
二つの科目のうち、国語が概ね正規分布にしたがう点数であるのに対して、美術は非常に点数の低い生徒が一人いるため、算術平均はその低い生徒の点数に「引きづられて」低くなってしまう。このような「外れ値」がある場合には、分布の位置を見るためには算術平均よりも中央値(データを大きさの順に並べた時に中央の順位のデータの値)を見る方が適切である。中央値はこのような外れ値の影響をより受けにくい(これをより頑健あるいはロバストという)。
このような外れ値を含む分布の形を見るのに便利なツールが箱ひげ図(ボックスプロット)である。箱ひげ図により、分布の位置や歪み、外れ値の様子を把握することができる。ヒストグラムでも分布の形を見ることができるが、データ数があまり多くない場合はヒストグラムをうまく描けない。その点では箱ひげ図の方が優れている。

ゴールデンウィーク特集:データ解析入門 (1)

1.定量データの意義
例えば、「今日もうだるような暑い一日であった」という記述は、文学作品や個人の日記に出てきそうな表現である。「暑い」という事実よりも「暑くて心地悪かった」という感情を表現することに重きをおいている。
一方、明日の天気予報で、「明日もうだるような暑い一日になるでしょう」と聞いた場合、なんとなく状況は想像できるが、具体的にどういう対策をすればいいかを考えるには不十分である。「明日の最高気温は35度でしょう」「明日の熱中症指数は『厳重警戒』レベルです」と聞けば、外出先ではこまめな水分補給が必要だとか、そもそも外出はやめようとかの判断の材料になる。
このように、具体的なアクションを起こすために有用な情報は、定量化されている方が客観性があり、より望ましい。これが企業経営のような、社会への大きなインパクトや多くの人の人生をも左右してしまうような意思決定の場合、なるべく多くかつ様々な角度からの定量データを見て判断することがどうしても必要である。会社のお金のやりくりがどのようになっているかは、財務諸表という数値表及びそれから導かれる「自己資本比率」などの数値を見て判断する。
個人のスキルでも、「英語が流暢」よりも「TOEIC850点」の方が、企業や組織の採用担当者にとっては判断がしやすい。「老後のお金が心配」であるならば、現在貯蓄額と将来の予想収入と支出をもとに、今後毎年の資産残高をエクセルを使ってシミュレートすれば、そもそも心配する必要があるのか、定年を過ぎても働く必要があるのか、今よりどの程度節約すればいいのかなどが判断しやすくなり、漠然と心配しなくても済むようになる。
このように、あるアクションや意思決定をするためには、事前にそれに関わる定量データを見ることがとにかく重要である。
2.データ解析とは
逆に、データ解析とは、あるアクションや意思決定に役立つ定量データを提供するために行うものであり、真理を追求するために行うものではない。これには異論のある方もいるであろうが、世の中のほとんど大部分のケースではこのように考えて差し支えない。
そして、データ解析は、手法が高度である程いいというものではなく、アクションや意思決定をする人がそれを最も効果的に利用できることが、もっともよいデータ解析である。株式投資をするのに、ある会社の株価の移動平均のグラフを見るのもデータ解析であり、同じ会社の四半期の売上の推移のグラフを見るのもデータ解析である。株価の動きを確率微分方程式モデルで表すことが必ずしも最善ではない。
データ解析の中には、新薬の効果の実験結果の統計的検定のように、ある指定された統計ソフトウェアを用いてある決められた手順で行うことが義務付けられている場合もある。しかし、世の中の大部分のケースでは、あるアクションや意思決定に必要なデータ解析のアプローチの仕方は一つではない。
私がこの「データ解析のあるべき姿」について特に考えさせられたのは、放射線の健康影響評価のデータ解析結果についてであった。私は2011年の福島第一発電所事故前に放射線の疫学データ解析の仕事をしていたのでこの分野には詳しかった。そして、本来「発電所作業員の放射線防護」というアクションのためになされていたLNT(しきい値なし直線モデル)による広島長崎原爆被爆者調査データの解析結果が事故後に独り歩きし、「放射線はどんなに少量でも危険」ということが世の中の常識となってしまった。この場合、「何のアクションのためのデータ解析結果なのか」が忘れ去られ、LNTモデルが普遍の真理のように扱われたことが何より問題であった。