伝統的温泉街は再び活性化するのか

1.伝統的温泉街の苦戦

伝統的温泉街が寂れてきていることはよく聞かれる。鬼怒川温泉では一泊二食付きで1万円のツアーが普通になっている。交通アクセス良好な熱海温泉もあまり元気がなく、客層の男性・団体から女性・個人へのシフトに対応してこなかったことが指摘されている。

このグラフを見ると、延べ宿泊客数はバブル崩壊後長期低落傾向にあったが、近年また増加傾向にある。熱海温泉も2011年を底にV字回復しているという。インバウンドの増加も要因の一つであろう。

2.温泉街再活性化の事例

温泉街の活性化事例として最も有名なのは湯布院温泉であろう。温泉街再開発の主要メンバーが欧州を視察し、美術館やショッピングモールのある魅力的な温泉街を開発した。私も家族の希望で三度ほど湯布院温泉まで一泊二日で旅行した。しかし直近の訪問ではアジアからのインバウンド客が非常に多く、それと伝統的日本温泉街の整合性がとれていないような気がした。他にも幾つかの事例がある。

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この事例の特徴は、やはり温泉街としての一体経営(に近い形態)であろう。海外でも豪州のハミルトン島は地区全体が単一経営母体からなっているのがリゾートとしての成功要因とされている。これは温泉街に限らず、日本の伝統的商店街にもあてはまることである。個人経営店の単なる寄せ集めでは思い切った意思決定ができず、有効な手が打てないままズルズルと衰退の一途をたどる、というのが典型的パターンである。

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この事例でも温泉街全体の統一的コンセプトのもとに、景観、インバウンド対応、各種イベント開催などに取り組んでいる。

3.温泉街が真に再活性化するには

しかし伝統的温泉街の活性化に必要なのは、大前研一氏が再三指摘しているように、温泉旅館による食事提供をやめて、宿泊客が食事や買い物を楽しめる繁華街を作ることであろう。伝統的温泉旅館では宿泊客は夕食を宿で済ましてしまうため、外に出る動機づけがない。旅館以外の飲食店も昼食提供だけでは経営が苦しい。昔は映画「東京物語」にも出てくるように、会社の御一行様が温泉旅館でどんちゃん騒ぎというのが定番であったが、もうそのような時代ではない。

 

客観的に「良い友達付合い」とは?

1.男性にとっての”Forever Friends”は?

竹内まりやの名曲の中に”Forever Friends”という曲がある。学生時代以来の親しい友人は頻繁に会うことはなくても「永遠の友達」という内容の歌詞である。私の配偶者にもそのような友人はいる。歌詞でも「女同士」と言っている。私は「これは女性特有の世界」と解釈してこの曲を聴いていた。

しかし男性でも”Forever Friends”がいる人は少なくないはずである。最近の自分自身の環境変化から、私にはこのような友人はいないことを意識するようになった。最近は同窓会でクラスメイトと会う機会も結構あるが、”Forever Friends”といえるような人はやはりいない。また、そもそも友達付き合いを見直すことでお互いの人生をより充実させるような可能性はあるのか、といったことを考えるようになった。

2.友達付合いを客観的に分析するとどうなる?

そこで、友達付合いを経済学的・科学的に分析している記事をネット検索してみた。

【保存版】だから友達いない!意外と知らないNG ?勝ち組「経済学」

これは、友達と会った結果がネガティブなものだった場合の機会損失を時給換算で考えたものだが、日常生活の行動という点からはある程度的を得ているといえる。

また、次のような記事もある。

ホンマでっかで科学的に説明!友人関係は広く浅く?狭く深く?得なのはどっち?

これは過去に放映されたTV番組のアーカイブのようである。両派それぞれを支持する専門家の見解が記述されているが、「総じて広く浅い人間関係の方が得」という結論になっている。これはかなり納得するところがある。金銭がらみのことを友人関係に持ち込むことは非常にリスクが高い。親しい友人と頻繁に飲み明かしていたら健康に悪い。結局、「親しい友人がいない」ことをあまりネガティブに考えないことが得策のようである。

 

「ロボットやAIに仕事を奪われる」にいかに備えるか

1.「テクノ失業」は産業革命からの潮流だが

最近、「今後は今ある仕事の大部分がロボットや人工知能に取って代わられる」といった記事をよく見かけるようになった。

ロボットやAIに人間の仕事が奪われる【テクノ失業の恐怖】

このような機械化の進展による失業は、産業革命の頃からあった。私の伯父は旋盤工、私の叔母はタイピストだったが、もはやそのような職業は存在しない。現在でも、多くの事務的作業は政府による規制や雇用維持の施策によって存立している。技術的には数十年前から可能だった電気の自動検針がほとんど実現しなかった(今後スマートメーターで実現)のは検針員の雇用維持のためである。公務員の多くも複雑な事務手続きによって雇用を維持している。そのような規制がなくならないのは、既得権を守ろうとする団体のロビー活動や投票行動のためである。エストニアのような完全電子政府になったら、日本の殆どの公務員,税理士,会計士などが失業するだろう。

2.「テクノ失業」が生み出す社会は退職シニア世代と類似

しかし、今後ロボットやAIの進展による失業は新たな別の雇用をほとんど生まないという点で従来の機械化による失業と根本的に異なるという。

人工知能で技術的失業をした人々の第二の人生は?経済学者からのヒント

この記事によると、従来の労働という概念が根本的に変わり、人々はいかに「やりがいのある活動を見つけて充実した人生を送るか」ということになる。もちろん、どの位の経済的余裕があるかによって出来ることの選択肢は変わってくる。よく考えると、これは現在の退職シニアの置かれた状況とほぼ同じである。違う点は、多くの退職シニアが退職金や年金という経済的基盤があるのに対して、今後訪れる社会での人々の経済的基盤がまだ整備されていないことである。一部の起業家や作家・アーティストなどのみが富裕層になり、それ以外は「ベーシックインカム」で自らの生きがいを追求していくことになるのかもしれない。

いずれにせよ、今後の社会を生き抜く上で大切なことは、組織にぶら下がって言われたことをやっているのではなく、自分が本当にやりたいこと・得意なことを認識し、そのために今何をすべきかを明確にして、主体的にモチベーションを持って活動していくことであろう。

「三日坊主」や「積ん読」から抜け出すために

1.「三日坊主」や「積ん読」は誰にでもある

ビジネススキルアップのための啓蒙書などを読んで、「自分もやってみよう」「勉強しよう」と一旦は決意するが、結局やらずじまいに終わっている、という経験をお持ちの方は多いと思う。忙しいビジネスマンでも休日はある程度まとまった時間がとれるが、家の片付け、家族サービス、テレビ、ごろ寝などで過ごしてしまう人は多いであろう。私もまったくそうである。

2.「オートマティック」に学習する

前にも書いたが、「努力」や「意志の力」で学習は長続きしない。どうしてもある時期までにある資格をとらねばならないとか、自分が強い興味を持ち、やって楽しいということなら自発的に実行するが、ほとんどの学習はそんなに切迫した、又は楽しいものではない。このような場合に最も理想的なのは、宇多田ヒカルの歌にある「オートマティック」である。つまり努力や意志の力を借りずとも「自動的に」勉強している、という状態を作り出すことである。

一つは、ルーチン作業に合わせて英会話などの音声教材を聞くことである。家事をしながらや通勤時間帯に実行可能である。どんなに混んでいる電車でもイヤホンをつけて聞く位はできる。最寄り駅/バス停から自宅までの徒歩ルートをうまく活用することもできる。

もう一つは、前にも書いたが、「合わせ技」である。自分の場合は、運動のエクササイズと英語のトレーニングをセットで実施することにより、双方のモチベーションを高めるようにしている。

後は、無理やりでもモチベーションの源を作り出す、ということもある局面では有効である。英会話スクールの講師が美人なら、「この人が喜んでくれるような成果を出す」と考える(これは私が以前やっていたこと)、といったこともアリである。しかし外部のエネルギー源に頼ると、そのエネルギー源がなくなってしまったらどうするか、ということもある。とりあえず「ポジティブなエネルギー源になるものは何でも活用する」というスタンスでいいと思う。